第9回より 「抗がん剤治療体験から~多くの人に支えられて(かずちゃん)」
がんという病気は、誰がなってもおかしくない・・・。そう思っています。
なぜなら、健康にも体力にもそこそこ自信があり、食事にも気をつかい、タバコも吸わない私が、がんになってしまったのですから。
しかも、卵巣がんという女性特有のがんで、そんなに多くの人がかかるわけでもないのです。本当に驚きました。
2007年3月、子宮がん検診で子宮のまわりに異常が認められました。それだけでも十分なショックなのに、1週間後の検査で、医師から悪性の可能性があると告げられました。
凍りつきました。手術は怖いけれど、がんがこのまま自分の体内にあるのはもっと怖い。「だったら、手術を頑張るしかない」と自分を奮い立たせました。
ところが、おなかを開いてみると、がんは卵巣・子宮におよび、腸にも転移がありました。術後に「腸も切除した」と聞き、ひどく落ち込みました。
手術の前に、それらしきことを聞いてはいたのですが、大丈夫と思いたかったのです。本当に腸も切除したと聞いて「もう私はだめだな」と肩を落としました。
ほどなく、TC療法という抗がん剤治療が始まりました。TC療法とは、パクリタキセル(Paclitaxel)と、カルボプラチン(Carboplatin)という2種類の異なる作用の抗がん剤を組み合わせた治療法です。
これを6回受けることになったのですが、3・4週間ごとに入院し、2泊3日、治療します。
一週間にも二週間にも思えるほどの長さに感じられ、本当に心細い思いで病院の白い天井を見つめるばかりでした。
私は、自分ががんと診断される2か月前に父親を大腸がんで亡くしていました。
思ったのは「あんなふうに死ぬんだな。何が悪かったんだろう。行いが悪かったのか。食べ物が悪かったのか。そう、運が悪いんだ」
心の中に押し寄せるのは「悪い」という言葉や思いばかりでした。
がん、手術、抗がん剤が怖い。病気になる前に戻りたい。
父親が亡くなって少し落ち着いてきたのに、また母親をつらい目に合わせてしまうことに、身を切られるような思いがしました。
当時、こどもは、まだ中学生と高校生で、これからの生活のことや受験が心配でした。
主人は結婚以来貯めていたへそくりを私に差し出して「これを使ってくれ」と言ってくれましたが、とてもそのお金は使えませんでした。
思えば、治療前、治療中は、とにかく、聞きたいことばかりでした。
抗がん剤治療の前に、治療に関した冊子を手渡されましたが、副作用やその対処法について分からなかったことは看護師さんに聞きました。
同室で抗がん剤治療を受けている人にも、副作用や日常生活はどうなるかなどを聞きました。脱毛後のかつらについても、どこで買ったらいいのかを教えてもらいました。
毎回治療の前に、薬剤師さんが来てくれて、不安なことや分からないことはないかと聞いてくれました。
この手厚く親身なサポートがあったからこそ、私は治療を乗り切ることができたのだと今も心から感謝しています。
いま、抗がん剤の進歩はすさまじいほどで、副作用対策なども進んでいますが、当時、私に現れた抗がん剤の副作用は優しいものではありませんでした。
足裏の痛みやしびれには、ツムラ芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)エキス顆粒とモービック錠を服用。
この漢方は痛みやしびれの救世主ではあるのですが私には飲みにくく、量も多くて苦労しました。
便秘には重カマといわれる酸化マグネシウムで、便通をよくする、胃酸を中和する、などの効能があるものが処方されました。
これは腸を切っているので、つないだところに負担がかからないように便を柔らかくする効果があります。
骨髄抑制には白血球が少なくなるのですが、注射で対応できます。
けれども、脱毛、口内炎、抗がん剤の味を感じるなどは我慢するしかありませんでした。
実は、1回目の治療では、心配していたアレルギー反応も、吐き気などの副作用もなく「これなら行ける!!」と内心喜んでいました。
2回目の治療時は、副作用の「しびれ」を改善するために出された「ツムラ芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)エキス」が私には飲みづらかったため、大人で薬が飲めないなんて恥ずかしいと思いましたが、他の薬に変えて欲しいとお願いしました。
薬剤師さんの答えは、意外というか、当たり前のことでした。
「この薬しかないのでオブラートを使ってみて下さい」と言われたのです。
すぐに病院の売店に行き、逆円すい形の袋になっているオブラートを見つけ、買い求めました。袋になっているので、薬を入れたら口を閉じるだけです。
不器用な私でも簡単に使うことができました。
「飲みにくい薬にはオブラートを使う」というふつうのことを思いつかないなんて、やっぱり平常時とは精神的に違うのだとその時気付きました。
ところが、3・4回目の治療の時には、1回目は殆どなかった吐き気が強くなり、オブラートに包んでも薬が飲めない、食事も出来ないという状態に陥りました。
「薬は飲めるだけでいいから頑張って飲んで下さい。
食事は無理をせず、食べたいものを食べたい時にとって下さい」と言われましたが、副作用がだんだん強くなるし、精神的にも限界が来て。
点滴の針を抜いてどこかへ逃げ出したい気持ちで一杯でした。
5・6回目の治療の時は、点滴を始めると「抗がん剤の味」を感じるようになりました。
漢方の薬を飲むことができなくなったことから、副作用の足の裏の痛みが強くなり、このままでは歩けなくなるのではないかと心配でなりませんでした。
薬剤師は「味や痛みは治療が終わればよくなると思います。
もう少しだから頑張ってください」と言った。ただ、薬剤師はそれまで「抗がん剤の味を感じる」という患者の訴えを聞いたことがなかったそうだ。
治療は嫌だ嫌だ嫌だと百万遍いっても足りないくらい嫌でしたが、こんな気持ちで治療を受けても薬の効果が得られないのではないかと思い「抗がん剤がよく効いている、抗がん剤ありがとう」と祈りながら点滴を受けていました。
こんなつらい治療も、終わってみると気持ちも変化します。
6回の治療すべてに薬剤師さんが来てくれたことは本当にありがたいことでした。
いつも最初に「どうですか?」と声をかけて、話を聞いてくれたことは、安心して治療を受けることにつながりました。治療の度に聞きたいことがあり、分かっていることでももう一度薬剤師に説明してもらうと安心、納得できたのです。
主治医、看護師、薬剤師など、多くの病院スタッフのおかげで無事に治療が済み、あれから6年が過ぎました。
普通に家族そろってご飯が食べられること、普通にどこかへ出かけられること、仕事ができること—–。
普通こそ、何物にも代えがたいということ。
普通の喜びを噛みしめ、私を支えて下さったすべての人に感謝をささげながら毎日を送っています。