乳がんから私を守ろう 5期ピアサポーター佐藤和香
ピアサポーターとは
ピアとは仲間・同じ立場という意味でがんの体験者やその家族がコミニュケーション術や
がんの基礎知識などをほぼ一年間に渡って勉強しがん患者さんに寄り添い問題解決の
糸口を一緒に見つける手助けをする人のこと。
活動の場は主に『がん診療拠点病院』や
『名古屋市がん相談情報サロン・ピアネット』である。
ヘルパーセラピー
その言葉の意味は(助けるものがいやされるという原則)で、
その言葉のとおりサポーターの私が援助されている日々である。
自己紹介
乳がんの体験者
【2007年】
1月 左胸にしこり 乳腺外来のある病院を受診する
2月 針生検の結果 左胸浸潤性乳管がん と診断される
術前化学療法を行う FEC×4クール
タキソテール・ハーセプチン×4クール
7月 手術(温存手術)
9月 術後化学療法を行う タキソテール・ハーセプチン×4クー ル
ハーセプチン 1年間
12月 放射線治療を行う 2Gy×25
【2008年】
10月 ホルモン療法 リュープリン、皮下注射 2年間
ノルバデックス服用 4年間
【2010年】
7月 手術後5年経過し治療を一区切りとする
病院へ行った
ある日異変を感じ、乳腺外来のある病院へ行った。
通院するなら近いところ、入院するのも家族が来やすいところと考えて病院を選んだ。
家族には黙って、もし違っていたら・・・
と、の淡い期待あまり検査なんてしたことがなかった。
いろいろな検査を受けた。結構しんどかった。
MRIは閉所恐怖症になりかけ、耳が壊れそうだった。
病院って結構疲れる。
告知されて
2007年より遡ること10年あまり。
定期検診の子宮頸がん検診で再検査の結果をもらったところから始まる。
30代の私はがん検診は受けていたが、
がんは自分とは全く別のところの人の話だと思っていた。
再検査の結果を聞くまでは
毎年検診を受けていたのに・・・、悲しい気持ちでいっぱいだった。
結果は≪がんになる前の変形の細胞が見つかった≫とのこと。半年に一度検診を受ける要観察でよかったが、
結局は子宮筋腫が大きくなり子宮の全摘になった。
しかし、摘出した子宮にはがんは見つからなかった。
すっかり忘れて過ごしていた。
ある日何気なく自分で発見したが、びっくりはしたが、前回のとは違い徐々に自分を励まし受診した。
治療の話
家族にはどう話そうと考えた。
昔は本人にはどう話そうと家族が考えた。本人に告知しないこともあった。
今は結構簡単に本人に言われるもの 意外と平気だった。
仲間は結構真っ白になったと聞いた。
「まず抗がん剤治療をしましょう」主治医に言われた。
知識として、がんは切るものと思っていた。
抗がん剤⇒吐き気のある薬だ。
やはり吐き気がすごかった。
テレビのとおり、髪が抜けてきた 始末が大変だった。
こんなのなら一気に抜けてほしいと思ったほど。
治療が終わればすぐ生えてくると先生は言った。でもなかなか生えない。
化学療法はほぼ一週間に一度。
放射線治療は5週間月曜日から金曜日まで(治療はほんの2~3分)
病院に行くのが仕事になってしまった。
ホルモン治療もホットフラッシュがかなり大変だった。
いろんな治療を経験して
いろいろな治療が全部それぞれに大変だった。
●今まで楽しかったことが楽しくなくなった
本を読むのが好きだった→眠くなりすぐ寝てしまった
テレビでスポーツ観戦するのが好きだった→見ていたら眠くなった
●今体力がなくなった
治療中は家族と過ごした。
出かける日程も治療の日と相談し、
朝起きてみてつらかったので外出もやめた時もあった。
心も体も戻るのにずいぶん時間がかかった。
治療を通してつらかったこと・うれしかったこと
●つらかったこと
術前化学療法で腫瘍を小さくするためのFECの効果が表れるどころか、
炎症を起こし胸がパンパンにはれてしまった。
また、吐き気がものすごく1週間ほどほとんど食べられなくて、
体重が3キロも減ってしまった。
これが4クールも続くのかと思うととても憂鬱になった。
しかし主治医が効果がないと判断しFECは1クールで終了。
HER2が2+だったことで早めにタキソテール・ハーセプチンに切り替えた。
タキソテール・ハーセプチンは私にあっていたのか1度目の点滴により
触診で分からなくなるくらいになり、手術前の生検ではがん細胞が見つからなかった。
しかし、もう1つ嫌だったのは、タキソテールの副作用がつらかったこと。
タキソテールの副作用でてのひら・足の裏がとても痒くなり
手・足の皮が一枚捲れてしまった 腰や関節がとても痛くなった。
ステロイドの量を多めにしてもらった。
●うれしかったこと
化学療法の1回目は2泊3日の入院で点滴を受けたが、炎症をおこしていたのもあり、
点滴のあと胸がかなり痛んだ。
その時に主治医が「痛みは我慢しなくていいから」、
「痛み止めを上手に使えばいいから」
と言ってもらいとても気が楽になった。
術前の化学療法を終え、生検でがん細胞が見つからなかったので
術後化学療法を迷っていた時
せっかく少し生えかけた髪の毛をまた失ってしまうつらさと、
薬の副作用のつらさもあり術後の化学を悩んでいた時、
違う病院で違う先生に話を聞いてみては?
と、主治医自らセカンドオピニオンを薦めてくださり
治療法を決めるきっかけを作ってくれた。
治療後の話
●今困ること・嫌なこと
5年を経過し、一年に一度の検診のみの経過観察になった。
乳がんの治療は10年とも一生とも言われていて、何もしていないというと
「それでいいのか」と心無いこと言われるのが意外とつらい。
検診で病院に行くと帰り際に必ず「お大事に」と言われる。
私は病気なのか?先生にも言ってみた。
「お大事にはどうなのかと思う。」と、
先生は「病院では合言葉のようになっている。」と言われた。
●心配なこと
再発・転移の心配が心のどこかにあること
病気になっていろいろなことをはじめた。
漢字検定・簿記検定・エコ検定・マイクロソフト検定その他資格を取った。
いまは公文のペン字をしている。
少しでも悲しむ人がいないように
早期発見・早期治療のためにも
がん検診を受けましょう
大切な私の為に
大切な家族の為に
自分を守るのは自分しかない
がんになっていないひとへ
がんはまだまだ怖い病気かもれない
けれど一人一人にあった治療法は必ずあるはず
ですから少しの生活習慣の見直しと検診は必ず受けよう。
自己検診をしよう。自分で見つけた人もかなりいる。
どんなに気を付けていても絶対はない。
自分を守るのは自分でしかないということ。
自分を大切にしてほしい。
自分の大切な人を大切にしてほしい。
わたしのこれからの話
●仕事に復帰した
人と話をするのが好き
幸い縁あって今の職場で働き始めた
今の仕事もそうだしピアもいろいろな方のお話を伺うことが出来る
●ピアサポーターになった
がんになっても自分らしく
がんになる前よりイキイキと一日一日を大切に過ごしていけたらと思っている